レイトベッティング / パストポスティング

ベッティングが締め切られた後にベットすることを、レイトベッティングまたはパストポスティングと呼びます。これは、対象となるゲームの結果等、規定時間内にベットした場合には得られない情報を得られるため、不正行為とみなされます。

「パストポスティング」という言葉は、競馬のラッパ手が「コール・トゥー・ザ・ポスト(ポストタイム)」の言葉と共にレースのスタートを告げるということに由来します。この合図が出た後は、追加でベットすることはできません。これ以降のベットは「アフター・ザ・ポスト」とみなされます。

ゲームの種類によっては、ディーラーが「ノーモア・ベット (ベット締め切り)」と声をかけるか、特定のパターンでテーブル上で手を振ります。たとえばルーレットにおけるパストポスティングでは、玉がポケットに入ってからベットすることを指します。

ルーレットでは、パストポスティングは集団で行われます。別の場所に置いたチップを当たった数字に動かす、または新たに置くために、彼らはクルピエの注意を逸らそうとします。不正行為のテクニックとして、パストポスティングを成功させたプレイヤーは発覚を避けるために、正当なベットを数回行ってからテーブルを離れることが推奨されています。

スポーツイベントのテレビやラジオ中継が登場する以前は、パストポスティングは比較的簡単でした。「ブロンディ・モブ」と呼ばれる5人の金髪女性集団は、1940年代にロサンゼルス地域のブックメーカーたちを手玉に取り、少なくとも100万ドルを荒稼ぎしていました。この有名な事件は、マジシャンでゲームとギャンブルの専門家でもあったジョン・スカーンがその詳細を記しています。

ブックメーカーは裕福な顧客に防音部屋でベッティングを行わせていました。この部屋で外界と連絡を取り合うのは、理論的にはブックメーカーの電話を使わない限り不可能でした。賭け金はブックメーカーに結果が伝えられるまで(つまり、レースが終わって数分後まで)回収されたままです。しかしそこで、詐欺師の協力により策略が仕掛けられていたのです。

この手法は1973年の映画「スティング」に登場します。同作は1936年にドイル・ロネガン(演じたのはロバート・ショウ)に対して仕掛けられた実際の策略に基づいています。これは、実際のレースは数分前に終わっている状態で、ウエスタンユニオンの電信を使って結果が公開される前にベットするというものでした。

また、ピーター・ブランド主演の「Came a Hot Friday」では、1949年に起こったずさんなパストポスティングを描いており、こちらは策略が裏目に出るという結果に終わっています。

ジェイムズ・ジョイスの「ユリシーズ」(1922年出版、1904年が舞台)では、個人的に無線電信装置を作れば英国からの通常の電信サービスよりも速くレースの結果を受け取って儲けられるのではないかとレオポルド・ブルームが思案する場面が登場します。

バリエーションとして「ピンチング」というものもあり、こちらは結果が出た後にベットの対象を変えるのではなく、その額を変えるというものです。負けた後の損失を減らすために、プレイヤーは策略を使ってチップの一部を抜き取ろうとするというわけです。

ピンチングは様々なライブテーブルゲームやカードゲームで行われる可能性があり、場数を踏んだ詐欺師はチップの山がプレイヤーの方に押し戻される際にカードを使ってチップをかすめ取るという技術を持っています。